平成15年の9月。
境内西側の拡張造成工事が始まった。
そもそも、社殿のすぐ西側脇に神門があり、境内地を二分していた。
その神門に白蟻が入り破損がひどく、さてどうしたものか、新たに建替えようかとも考えたが、せっかく境内は山(ボウズ山)の際までが神社有地だからこの機に拡げてみようということになった。
幅30m、奥行き100mの造成である。
立ちこめる木、竹藪を切り開いて進むと、山際の前に今まで見たこともない珍しい岩を発見。
表面がツブツブ・ザラザラとしており、まるで生コンクリートを捨てて固まったかのような石(岩)である。
早速、門川町在住の日本地質学会員でもある足立富男先生に見ていただくと、なんともあっさり
「宮司さん、これは礫岩、”さざれ石”ですよ」
「えーっあの”君が代”のですか・・・」
まさか、大御神社の境内に「さざれ石」が、しかもその規模たるや・・・
”神座(カミクラ)”と名付けしその巨石、境内西側(通称ボウズ山)の岩肌を見下ろす海岸の岩群、そして塩見川河口(ウドノセ)に至るまでの周辺一帯は圧倒的スケールの日本一であることが後日に判明いたしました。
私は「君が代」を歌うたびに疑問を持っていた。
それは「さざれ石の巌となりて」の文言である。
小さな石がどうやってくっつき固まって大きな巌となるのか、セメントやボンドがある訳でもないし。
この歌詞はいわば、非科学的ではないかといつも考えていた。(実際は、私があまりにも地質学に無知であるがため、ただそれだけのことである。)
しかし、こうして圧倒的スケールの”さざれ石”群を目の前にするとうれしさに涙が込み上げてきた。
そして何といっても境内地に在ることが有難い。
今では、この大御神社が、「さざれ石」が宮崎県の観光指定コースとなり、観光バスは勿論の事多くの方が訪れるようになった。
神社としてもできうる限りの対応をすべく宮司自ら「さざれ石」又、「君が代」の説明をしている。
そして、悠久の時を経て巌となりし日本一の「さざれ石」を称えて、その都度「君が代」斉唱することにした。
どこまでも澄みわたる青空、広がる水平線ここちよい潮騒を背にうけながら声高らかの「君が代」の斉唱は、また格別なものがある。
-意味-
天皇を日本の象徴と仰ぐこの国は、長い年月をかけ小石が粘土や砂などと混じって大きな岩(礫岩)となりその上に美しい苔が一面に生えるようにいつまでもいつまでも平和で豊かで栄えますように。
今から約2000万年前、この辺りは広範囲にわたり浅い海岸平野で、大陸から流れる大量の礫(石ころ)が、その河口附近にたまって、粘土・砂などにまじり、長い年月の間に大きな固まりとなりました。
これが神社周辺の「さざれ石」です。
その後、尾鈴山の火山活動により海から陸の方へ火砕流がながれ、礫岩層の上を覆うと同時に堆積しました。
これを柱状節理(溶結凝灰岩)といいます。
神座附近の海岸では、火砕流と礫岩の境、さらに火砕流が礫岩を巻き込んだものと混在したところも見られます。
はるか悠久の歴史に思いをはせつつ、すさまじい地球のエネルギーをご覧下さい。
※礫岩(レキガン)
堆積岩の1つ。円形の礫が水底などに堆積して、粘土、砂などに膠着・固結したもの。子持岩。蛮石。小石が水底につもり、粘土・砂などにまじってかたまった水成岩。
▼本殿裏の柱状節理
御社殿前を過ぎ境内西側奥にある「神座」は、天孫降臨として知られる天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が当地を遊幸された折、お立ちになって絶景の大海原を眺望されたと伝えられる岩です。
造成の折、竹藪を切り開いて進むと先ず忽然と現れたのがこの巨石(神座)だった。
周囲30m・高さ4mと大きい。
大御神社いわれの中に、天孫降臨として知られる天照大御神の子孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が当地を遊幸されたとき、大きな岩に立たれ絶景の大海原を眺望されたと記してあった。
私は30年余り、いつも心に留めつつ周囲の岩を眺めては探していた。
神さまが立たれた岩だから格別の岩である筈と考えていた。
そこにこの巨石(さざれ石)の出現である。
見た途端すぐにこの巌だと確信した。
そしてその巌に神座(カミクラ)と命名し注連縄を張り廻らした。
今、全国各地より人が絶えない。
その中には霊的に敏感な人もおいでである。
「宮司さん、確かにこの場所(神座)で瓊瓊杵尊さまが天照大御神さまを迎えられましたね。今でもその時の瓊瓊杵尊さまの思いがしっかりと残っていますよ。」
「この巨石から吹き出す霊気、エネルギーの強さはすごいですよ。まさに神座は”癒しの岩”ですね」等々・・・
時折、この神座の前に立ち両手を広げては5分、10分としばらくの間霊気を受けておられる方も見かける。
この神座のエネルギーにより一人でも多くの人が”元気”をいただくのならば嬉しい限りである。
そして君が代の「苔のむすまで」という歌詞そのままに岩肌全体が苔むし悠久を象徴するこの神座。
その割れ目にはこの巌を愛でるかのように常盤木の浜姫榊(ハマヒサカキ)も実に美しい。
私は只々、凄まじい地球のエネルギーと悠久の大自然のいとなみに感嘆せずにおれません。
そして朝夕にこの神座を仰いでは世の平らぎと国の弥栄、皆様の幸せを念ずるところです。
「君が代」に2番があることをご存知ですか?
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の巌となりて
苔のむすまで
動きなく 常磐堅磐(ときわかきわ)に
限りもあらじ
君が代は
千尋(ちひろ)の底の
さざれ石の鵜のいる磯と
現はるるまで
限りなき 御世の栄えを
祝(ほ)ぎたてまつる
明治14年小学校唱歌集初編に掲載。
1番前半は古今集巻七・賀唄(儀式の席で詠われるめでたい唄)中の唄より。
詠み人知らずというのが一般的だが、岐阜県春日村に伝わる伝承によれば、藤原朝臣石位左衛門(平安時代)という歌詠みが詠ったとの説もある。
2番前半は源頼政(1104〜1180:平安時代の武将)の和歌と言われる。
1、2番の後半は東京師範学校教員で、小学唱歌集の編纂に関わった稲垣千頴(いながきせんえい)の創作。
2番に「千尋の底の さざれ石の 鵜のいる磯と 現はるるまで」とあります。
「ふかい深い水底に長い年月をかけて溜まるさざれ石が、つもり積もって大きな岩となり水面から現れ、やがて水辺に遊ぶ鵜の鳥のすむところ(海岸)となるように」と解したらよいのでしょうか。
まるで大御神社周辺を眺めながらその情景を詠ったようで実に驚きです。